阿久根市美しい海のまちづくり公社
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阿久根の魅力

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魅(み)どころ

阿久根七不思議

阿久根市には昔から「阿久根七不思議」と呼ばれるものがあります。  江戸時代末に書かれた“三國名勝圖會”によると‘阿久根七奇’として光礁 隔岡の塩田 大人の足形 黒神 岩船 小潟崎穴 尻無川が挙げられています。
また、大正4年に発行された「出水風土記」によると上記に五色濱、鍋石、龍の化石の内一つをとって七不思議に加える場合もあるとされています。


県指定文化財 

ハマジンチョウ(天然記念物)-昭和28年指定-

ハマジンチョウ

波留潟地区に自生しています。常緑の熱帯植物で漏斗状の紫の花を11月から4月頃まで開花します。
普通は種子島以南に生育し、潮風の吹く温かい海辺やその付近の淡水地に育ち、南洋方面では高さ3メートルに及ぶものもあります。  天草(苓北町)、五島列島などにも自生していますが、阿久根のものは九州本島唯一の自生地として指定されています。


阿久根砲(考古資料)-昭和34年指定-

阿久根砲

昭和32年、小学5年生の坂元榮次君によって阿久根浜で発見された16世紀頃のポルトガル砲です。
当時の船舶に積まれていたものが、何らかの事情で阿久根沖に投棄されたものと思われており、阿久根の海外とのつながりを知る貴重な 資料として郷土資料館に展示されています。


波留南方神社の神舞(無形民俗文化財)-昭和43年指定-

波留南方神社の神舞

波留地内の南方神社(諏訪神社)の8年毎の例祭に舞われるもので出雲流の神楽の系統に類するものと言われ、 露払(ちはり)に始まり、神降ろし(かんおろし)、瓶舞(びんめ)、弓舞(ゆんめ)、剣舞(つるんめ)、田ノ神舞 (たのかんめ)、将軍舞(しょうぐんめ)、鬼神舞(きじんめ)からなります。由来は明らかでないが、現在鬼神舞に 使用されている面は、宝暦年間(1751~1764年)に作られたことを考えると、この頃には既に舞われていたと考えられています。
近年は保存のため毎年仮奉納が行われ、前回は平成7年8月24日に奉納されました。


脇本古墳群(糸割渕、史跡)-昭和50年指定-

脇本古墳群

脇本上原にある古墳時代(6世紀頃)の組合せ箱式石棺2基からなる古墳群、墳丘等は確認することはできませんが、昭和44年の調査に よって鉄剣・刀子・鉄鏃等が確認(郷土資料館に展示)されています。
これらは、字名をとって糸割渕古墳群と言われています。近隣の新田ケ丘古墳群と合わせて脇本古墳群と呼ばれて、横穴式石室、 地下式板石積み石室等、種類の違う墓制が隣接している等、鹿児島の古墳文化を知る貴重な遺跡です。


市指定文化財

脇本窯跡(史跡)-昭和48年指定-

脇本窯跡梅

脇本槝之浦字皿山にある磁器窯跡です。安永年間(1772~80年)に築かれたと言われています。県内最古の磁器窯と言われ、川内平佐焼きの 前身であると言われています。
昭和47年に調査が行われ、燃焼室や窯道具が確認(郷土資料館に展示)されています。現在県道工事により中央部は消失していますが、残った 部分については埋め戻して保存されています。


脇本古墳群(新田ケ丘、史跡)-昭和44年指定-

脇本古墳群梅

脇本上原にある6世紀ごろの4基よりなる古墳です。
横穴式石室2基、地下式板石積み石室1基、組合せ箱式石棺1基からなる古墳群、墳丘等は確認することはできませんが、昭和44年の調査により 鉄剣・刀子・鉄鏃等が確認(郷土資料館に展示)されています。
これらは、字名をとって新田ケ丘古墳群と言われています。近隣の糸割渕古墳群と合わせて、脇本古墳群と呼ばれ、横穴式石室、地下式板石積み 石室等、種類の違う墓制が隣接している等、鹿児島の古墳文化を知る重要な遺跡です。


南方神社の石鳥居(歴史資料)-昭和60年指定-

南方神社の石鳥居

波留諏訪の南方神社(諏訪神社)にある石の鳥居で、万治2年(1659年)折口伊兵衛重芳が奉納したものです。
折口伊兵衛重芳は、家業である焼酎造りの成功を南方神社に祈願し、焼酎造りに精進して、その後「千酒」と銘打 つ焼酎の製造に成功しました。時の藩主島津光久が参勤交代で阿久根に1泊したおり、これを献上し光久に大変喜ばれ、 「阿久根諸白」の酒名を与えられました。このようなこともあり、折口伊兵衛の焼酎業は益々栄え、祈願成就のお礼とし て石鳥居を奉納したものと言われています。
阿久根焼酎の起源を示す貴重なものです。


天狗山の磨崖仏(有形民俗文化財)-昭和60年指定-

天狗山の磨崖仏梅

西目中枦川の天狗山中腹にあります。ここは昔修険者(山伏)が修行をおこなった場所で、その修険者が彫ったと思われます。 当方面では大変珍しいものです。
現在5つの梵字ほんじ等が確認されていますが、その中には’文化十三天’(1816年)や’正徳三天五月吉日敬白’(1713年) 等の文字があり、その頃のものと考えられています。郷土の民俗信仰の歴史を知る貴重なものです。


その他の文化財

糸印(銅製印、個人所有)

糸印

この印は銅製で、玉をくわえた唐獅子像の丸形印で、高さ3.3センチ、底面の直径3.8センチです。わが国では室町時代の末期を 戦国時代と呼び、約100年近くも戦乱が続きました。このため、各種の産業は大きな打撃をうけ、中でも上流社会の衣服の原料であ る生糸(絹糸)は、桑園の戦場化や民家の焼失で養蚕業ができず、全く生糸の生産は停止するありさまとなりました。
そこで中国産の生糸輸入となり、糸印による取り引きが始まりました。中国の商人たちは、生糸をわが国に輸入する際、生糸一斤 (0.6キログラム)に対して一個の銅製印と受領書とを添えて送り、わが国の商人たちがこの生糸を受け取る際、量目をたしかめ、 量目にまちがいのない時は、この印を受領書に押して返送するようにしたのです。
このように、生糸取り引きに使用された印であったので糸印と呼び、後世、日中貿易の証拠であるとともに、骨董品としても珍重されてきました。 古来より阿久根は、中国に対する南九州の主要な貿易港とされ海運業で栄えてきましたが、この糸印はこれらの事実を示す、重要な資料と言えます。


西徳寺楼門

西徳寺楼門

この楼門は、西徳寺の再建のなった明治44年(1911年)のすぐ後に工事にかかり大正2年(1913年)に完成したものです。 2層の楼門は6本の支柱に支えられ、精巧な蛟竜などの彫刻を配して堂々たる姿を今に残しています。
また、この山門は2層目が鐘楼を兼ねており、九州一円でも他に1ヶ所あるだけという非常に珍しい様式のもので楼門と呼ばれています。


田之神石像

田之神石像

市内の文化財で民俗信仰においてもっと多いものといえば田之神石像です。これには建立年代に大きな開きがあり、 わかっているものでも応永2年(1395年)から昭和31年(1956年)まであります。豊作を祈る素朴な石像で「たのかんさー」 と呼ばれ昔から慕われています。南九州だけに存在すると言われ、地方によってしゃもじ・米袋などを持ったり、藁苞わらづと を背負うなど、様々な姿が見られます。